東南アジア、インドネシアの建築学科って?
ご無沙汰しております。インドネシア放浪中の阿部光葉です。
取りあえず、私が今どのような状態にあるかをざっと説明致します。
①今年の1月にインドシアのバンドン工科大(以下、ITB)に派遣交換留学生として渡る。
②4月にはバリ島のRumah Intaranという建築事務所にインターン(ITBには籍を置いたまま)。
③バリ島北部の農村で短期の伝統住居のリサーチ(Rumah IntaranとITBには籍を置いたまま)。
④4月以降、VISA手続きのためにジャワ島とバリ島を月1で往復しつつ色々な人に出逢う(=お世話になる)。
と、このように随分自由奔放な留学生活を送っています。要するにここ数ヶ月は家なき子で色々な人の家に泊まらせて頂いております。
しかしこの何となく好ましい方向性だけを念頭に置きながら、その時の巡り合わせに任せるスタイル。これは何ともこの国で「日々是好日」な生活を無理なく実現するのに最適なスタイルかと。半年経つ今、そう振り返ることが出来ます。
私の場合、世界最先端の研究に携わるとか有名事務所でがしがし働くというよりも、どのように生きてどんな空間で生活したら人間は生き生きとした毎日を送れるのか、ということに興味があるのです。
さて今回のお題「世界の建築教育」ですが、私が毎日のように大学に遊びに行っていたのは3ヶ月弱ですので、その間ITBで感じた建築教育について、インドネシア人の性格や生活の周辺で書かせて頂きます。
ざっくりとしたITBの位置づけ
私は「東京工業大学 Tokyo Institute of Technology」から「バンドン工科大学 Institute Technology Bandung」に留学したわけですが、文字通り東工大のインドネシアバージョンに来たという感じです。国内での位置づけやイメージは認知度の非常に高い東工大といったところです。天下のITBという表現もよく耳にするくらいなので、ITBで勉強中といえば基本どこでも内覧可能になります。
因みに、東大的存在がジャカルタ付近の国立大University of Indonesiaで、早稲田的存在がITBのすぐ近くにある私立のParahyangan Catholic Universityです。Paeahyaganは建築学科でいうとインドネシアで一番のレベルとも言えます。
スタジオ
私はこちらでS2と呼ばれる大学院の第2学期に在籍し(学部はS1)、建築学科のデザインスタジオを履修しておりました。
担当の先生は外から招いている場合が多く、 20人程度の生徒に対して3人の先生がついていらっしゃいました。
一人目はBandungとSoloにAkanomaというスタジオをもつ、Yu Sing先生。コスト削減や自然素材の多用を目的に様々な素材を柔軟に取り入れ、インドネシアでは珍しく低予算のプロジェクトも受け付けるスタンスを貫いている建築家。
2人目はURBANEという大規模開発を多く手がける建築事務所の代表の一人、Achmad D Tardiyana、通称APEP先生。URBANEは代表メンバーの一人にITB卒の建築家でもあるバンドン市長も名を連ねています。
個人的にはURBANEの作品よりも、APEP氏の個人的な設計活動による住宅作品が好きです。送別会を開いて下さったご自宅も、低コストな材料を使いつつもラフすぎない上品なしつらえで、魅力的な断面構成の住宅でした。
3人目はBaskoro先生です。
彼は特に知名度の高い建築家でITBのメイン校舎やバンドンの有名なギャラリーなども手がけております。
大阪大学でマスターを取っており、安藤忠雄の大ファン。非常にお茶目なキャラクターで愛されています。
他の私立の学校と比べると先生方は個性豊かな豪華な顔ぶれで、近い距離感で接することのできる環境でした。
今回のスタジオはBaskoro氏が代表で3グループに別れて国際コンペに出品するという課題でした。ITBでのスタジオは東工大とはかなり異なる形式で、一人の先生は1グループのみを担任するというかたちでした。よって、先生は3人いても担当の先生からのみ毎週コメントを頂くという感じ。スタジオの進行もかなりフレキシブルでゆるめです。
今回国際コンペの敷地がインドネシアでしたので、全員で片道8時間の敷地調査に行きましたが、Baskoro氏のペースに巻き込まれ調査はわずか2時間であとは観光。
スタジオに居ても、みな基本的におしゃべり、もしくはギターを弾く、歌う、寝るか食べています。彼ら曰く、学校では作業せず自宅でやるそうです。。。
こんなゆるゆるな学校生活、東工大で週2で徹夜みたいな生活をしてた人間としては「なんて無駄な時間が多いんだ!!」と内心ついていけませんでした。
しかしそんな彼らのスタイルから学ぶこともあるなあと思うようになり、一週間後には「今を楽しむ」お気楽スタイルになじんでいきます。
設計
インドネシアの事務所や大学ではとにかく模型を制作することが少ないです。スタジオでも模型でスタディすることはほとんどありませんでした。スタジオでも、唯一つくったのはプレゼン前日の敷地模型。それも1/2500とかであまり模型の意味はなかったと思います。
要するに大学教育の場でも、卒業後でも最初からスケッチアップ等の3D ソフトでスタディから基本設計まで全てを行います。はっきり言って、レンダリング後のパースがかっこ良ければ施主も設計者も満足という世界です。
また、学生の設計と先生方のコメントで感じたのは構造デティールや細かな技術面に関しては日本の大学以上にきちんと設計しますが、周辺敷地や敷地内のエリアごとの繋がりに関してはそこまで注力しない印象がありました。やはりまだまだ発展途上国と呼ばれる国であり、日本と違って沢山のプロジェクトが目の前にあり、どのようにかっこいい建物を多く建てていくかという姿勢が先生方や学生から感じられます。
そして一番驚いたのは、講評会でゲストクリティークのフランス人の先生にコメントを振るのみで、担当の先生方がコメントしなかったこと。
おそらくこれは今回のみと思いますが、インドネシアに共通して言えるのは、批評し合う、議論し合うという機会が非常に少ないことです。文化的に、批評することは相手のメンツをつぶすことと捉えられるので、人間関係を壊さないように第三者の前でも批判や批評は口にしません。
教育水準がやはり高くはないこと、研究・論文のレベルの低さを招いている大きな原因がこれかと思います。
先生からの助言をもらって少しずつ作品をデベロップしていくというよりは、ネット上の海外の作品などをレファレンスに自分でがしがし作った方が効率よくコンペに勝てるというのが意匠の学生の共通認識としてあるようでした。
インドネシアの建築メディア
彼らは設計のレファレンス集め、現在の国内外の建築業界の流れの把握をどのように行っているのでしょう。それは基本的にArchDairyなどといったネット上のメディアです。
こちらに来て驚いたのは良質な書籍の少なさ、国内建築メディアがほとんどないことです。日本の建築学生でしたら、新建築、住宅特集、A+U.....etc、沢山の建築雑誌が研究室や図書館にザーッと並び、その中から課題のレファレンス、論文の資料を抜き出します。毎週どこかで建築の展覧会やトークイベントがあり、未だに毎月様々な雑誌が発行され、誰が何をつくってどんな発言をしたのか、すぐに業界内で共有されます。
しかしインドネシアには国内の建築家の動きをまとめて発信するこれと言ったメディアはありません。よって、学生は個々のHPをチェックしたり、多くはInstagramなどのSNSから国内外の建築家の情報を等価に得ています。
そんな中で、20~30代の若手建築家にはSNSや動画配信などをうまく利用してクライアントをゲットしていく、名をあげていくといったロールモデルも生まれつつあります。
学生
学生の技能は決して低くありません。普段いつ勉強しているのか分からない同級生も、締め切り前には何故かきちんと体裁の整ったものを提出できるのです。
そして皆デザインスタジオと授業のみでなく、影で修士論文もしくは個人の設計の仕事を進めています。
院の1年目で修士論文を同時並行させている学生はだいたい1~1.5年で大学院を卒業できてしまいます。ITBは国内でも特殊で、学部も院も必要単位さえ取得できれば就学期間を短縮することができます。よってスタジオには学部を3年で卒業し、院を1.5年で卒業するという学生もいました。
一方で、インドネシアの院生の大半は一度社会経験を経てから大学に戻ってきたような人たちです。むしろストレートで大学院へ進学してしまうと卒業が遅れ、就職先がなくなるという考えです。日本の建築業界においては仕事が少ないので大学にどんどんと学生がストックされている状態にありますが、インドネシアがそうなるのは何年後でしょうか。
この修士論文を並行させない場合は、皆学外で仕事をしています。フリーランスで基本設計を担当していたり、友人と会社をつくって共同でいくつかのプロジェクトをまわしていたり、事務所で仕事をしつつ大学に通っている学生がほとんどでした。日本だと博士号も実務経験もあるような方々が、小さなリノベーションを手がける時代ですが。。。
私が一番強く肌で感じること
これは余談かもしれませんが、とにかく皆が「将来に不安を抱いていない」ということです。本当にどこに行っても強く感じます。
もちろん優秀大学に通う学生は国内では一握りで、彼らの将来が保証されている可能性は他の人々より高いのですが、中卒の農村の若者にも同じことが言えます。
日本の建築学科、大学教育の場、若者の間で感じることは、とにかく皆将来を心配していて、それを口に出しているということ。
現代社会にそうしている状況があるので当然かもしれませんが、インドネシアは現在経済成長が止まらないとは言え、日本のような生活保護等々の社会制度はまだまだ整っておりません。インドネシア人のこの性格が、風土に強く影響されていると考えざるを得ないくらい純粋で安楽的であること。少なくとも自分以外の人間にはそう見せようとします。家が無くなっても雨さえしのげれば凍えることもありませんし、作物は驚くべきスピードでどこでも実をつけます。
何故これだけ物質も選択肢も豊かな東京で(だからこそ)、多くの同世代が不安感にとらわれた学生生活を送らなくてはいけないのか。。。そしてそれによって社会に押し出されて行くようにさえ見えるのです。
建築家の職能を拡大解釈していこうという今の流れが、ごく一部だけでなく皆が「どこかで何とかなるよ」とか「死ななきゃいいじゃん」というくらいの能天気さや許容範囲の広さを構築できるような流れに繋がっていったらいいのにな、と思います。
今の世代の「生き方の模索」においては、十分に参考になることの多い国だと思うのです。
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