マイ フェイバリット アーキテクトは無し!!
このテーマですが、私のfavorite architectは無し!
建築家なしの建築です!!
初っぱなから趣旨にのっていなくてすみません。しかし、ここは他の皆さんが素晴らしい建築家を紹介するであろうと期待して、私はあえてarchitectという職業が確立される前から存在するvernacular architectureに注目します。
個人ではなくアノニマスな集団が生み出す建築です。
私がインターン中のインドネシアは世界最多1万3000以上の島嶼で構成され、国内外の島間で様々な民族が常に流入出していた国。
よって、国内の文化は非常に多様性に富んだ色濃いものが多い。
「インドネシア・ヴァナキュラー建築図鑑」
インドネシアで私を魅了するのは現代建築やコロニアル建築ではなく、愛らしい屋根とプリミティブな構造、自然素材のみでつくられたキャラの濃い彼らである。
インドネシア国内の各島々や地域それぞれに特有の伝統住居が存在するのだ。
Architecture(1999) ARCHIPELAGO PRESS
この図には載っていないが、実際は更に多くの強めなキャラが存在する。
私はまだJavaとBali agaとSumbaの住居しか観たことがないが、いつかのコンプリートを目指して積極的に旅して回るつもりだ。
以下のふたつは絶滅危惧種なのだが、絶対に観に訪れたいもの。
Wae rabo village [http://www.indonesiaexplores.com/2016/07/wae-rebo-flores.html]
そしてこれらの建築のほとんどが、イスラム教やヒンドゥー教、キリスト教などといった「宗教」がその地域に浸透する以前の土着信仰をベースとしている。
「Vernacular Architecture」
記述不可能な「いきいきとした空間」を求めて出発した私のインドネシア留学。
「建築家なしの建築」を表す周辺の言葉を今回の文脈によせて引用してみれば、「風土的建築」(Vernacular Architecture)は、建設を繰り返したりそれを維持することが可能である「無名の(anonymous)」建築である。アニミズムのような「自然発生的(spontenous)」で「土着的(indigenous)」な信仰を持つ。そして自然と共生するための高いスキルを持つ「田園的(rural)」地域で多くみられる。
何故そんな建築に興味があるのかをここで図にしてみる。ご覧の通り図表や言葉の選定がうまくいっていないのだが取り敢えず本日の叩き台を。
ある特定の自然環境に、ある住居があったとする。今回は東京に溢れる建物とスンバ島の伝統住居を具体例として上に図示したサイクルを説明してみたい。
私の故郷東京は今、気候までも人工的に調整されたこの均質空間で飽和している。その快適性や安全性の高さ、有限性の低さは世界トップレベルであり、日本を出て改めてmade in japan精神に尊敬の念がわくばかりである。
原広司氏は均質空間を理念とした建築を「いかなる用途や目的にも適合する座標的建築であり、しかもいかなる地域、場所にも成立する抽象性を持った普遍的建築」と述べている。具象性の高い装飾や材料で、特定の自然条件と文化のもとで成立しているスンバの住居との対峙である。
しかしこの建築は、僅かばかりだが周囲に存在する自然環境と住空間を繋ぐような表皮や素材を持っていない。そして、高尚な建築家のコンセプトの元でかたちづくられた建築構造や空間構成は豊かなシークエンスやコミュニケーション、抽象概念を生み出すかもしれないが、自然との対峙以上に人と自然環境が精神的にも肉体的にも接続するような意味を持つことは少ない。これに関しては、ある文化的コンテクストの上で成り立つものでもあるので、アニミズム的思想や慣習が消え去った東京ではなかなか難しい。
一方でスンバ島の伝統住居について考えてみる。
このとんがり帽子の住居は、藁や竹、木、石など周囲の自然環境から採取してきたもので全ての材料や表皮が構成される。そして最低限、家を構成する材料が”何であるか”を人々が容易に把握することができる。それが何であるかを理解できない限りは自分をそのサイクルのうちに置くことはできない。
また、装飾や記号性を持たない表皮の段階は意味を帯びていない場合が多い。よって我々はマテリアルと自身の間で触覚的観賞や感覚的世界の快感を得ることができる。多木浩二先生は「生きられた家」において、「生きられる空間は、われわれと感覚的にまじりあうものに生じてくる」と述べている。
次にこれらの材料で成り立つ住居の構造や空間構成は、スンバ島の土着の秩序やコスモロジーに満ち満ちている。例えば、このとんがり帽子の屋根組にはマラプという土着信仰の祖先の神が祀られており、人間はその屋根の下で生活し、家畜はこの高床の下で眠る。柱は人間界と祖先の世界を垂直に結ぶものであり、屋根は宇宙まで伸びるかのように天高くつくられる。(詳しくはhttps://asianimismdiary.tumblr.com/post/159557953997/スンバ島の住居の空間構造-床下)
この建築構造や空間構成が含有する土着の意味やイメージは人間が宇宙や自然環境へ接続できる力を持つ。
スンバ島の住居は、人びとがこのサイクルのうちで生活することを可能にするのだ。
もちろんこれらのvernacular Architectureが、現代人の我々にとって適した住環境とは評価し難い。
しかし、普段の私達の住空間では成し得ない範囲の意味とイメージを持ち、そこで行われる人びとのふるまいや、色と闇のあり方は、私が生きて生活することに確実に必然性を与えてくれる。
以上、今回も若干乱暴ではあったけど、お題通り主観を交えて私のFavorite Architectureを紹介してみました!
おそらくこのキャラ濃い建築、他にもどこにどんなものがあるのだろうと思うでしょう。
これから東洋八百万紀行記やGENEで少しずつお見せできればと思います。
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