グローバリゼーションとローカリゼーション
はじめまして、宇佐美喜一郎と申します。一昨年の8月から休学して約8ヶ月間ベトナムのヴォチョンギアーキテクツにてインターンシップとして勤務しました。 きっかけは院に入る前に、ある友人からヴォチョンギア事務所にインターンしたという話を伺って活動に興味を持ったからです。将来の展望として海外勤務というのも関心はあったこと、ブログのバックナンバーで新宮君も述べていたことに関連しますが、70年代日本の高度経済期に、建築が都市を変えていったような様相が見れるのではないかと、より意欲が増しました。
ホーチミン市最高層のスカイスクレーパー、ビテクスコ・フィナンシャルタワーと建設途中の建物。
近年、中心市街地では開発が多く見られます。
偶然バックパッカーで東南アジアを旅行する計画があったので、ポートフォリオを持って押しかけました。そして、翌年の夏からインターンさせていただけることになりました。 当時は、スタッフのほとんどがベトナム人、あとは若干名のパートナー、スタッフの日本人。事務所内のコミュニケーションも英語ができなくても問題ないってことで、まだ発展途上という感じでした。 ところが翌年にインターンとして入社したら、環境は大きく変わっていました。世界各地から僕のようなインターンが参加、社員として西洋人の方々も加わり、グローバルオフィスになっていました。プロジェクトもファイブスタークラスのリゾート開発などが盛んになり、外国人クライアントだったり、ベトナムの富裕層との関係も多くなった印象を受けました。
ホーチミン市郊外にあるヴォチョンギア事務所の作品センヴィレッジコミュニティセンター。
象徴的なドームが夕時は特に映えます。
このような地域の自然素材を使った建築は、非常にローカリティを感じさせる一方、非常にアイコニックな印象も受けます。特にリゾート開発のような、他との差別化が求められるような案件では、明快な形としてクライアントに受け入れられると感じました。 最近では、ベトナムを含めた東南アジアの若手建築家は、国内での評価を得る前にグローバルなdezeenやarchidailyのような世界的なプラットフォームで取り上げられるようにになっています。(そもそも日本でいう新建築のようなローカル媒体がないことから)この状況やグローバル企業との協同から読み取れるように、ローカリティが瞬間的にグローバル化されています。事務所でも、度々その瞬間を目撃しました。 そういう点で、この勤務を通じて、私の関心は、ローカル建築がグローバルに発信されることの展望に可能性を抱きました。 ただし、肯定的な可能性として、地域固有の問題に対しての建築家の活動が広まること、それにより仕事の受注や、ベトナムの経済効果にもつながり、国内のGDPも上昇する点もありますが、悲観的な可能性では、商業主義、ファッションとして吸収されてしまう危険性があるように思いました。個人的には、情報技術革命時代の中でも、現実の事象を大事にする、建築の本質を問い続けたいと思います。 日常の連続の中で、建築が存在するから影が生まれて、人が自然をより豊かに感じれて、自分の世界との境界を知覚する、そういった恩恵、土地に存在している事実が、建築の本質=意義であると信じています。その点で、ヴォチョンギアのバンブードームの屋根裏を見ていると、彼らの建築は、素材としてのローカル=固有性と、型としてのグローバル=普遍性が統合されていると感じました。
ウィンドアンウォーターバーの天井とローマのパンテオン神殿の天井の対比。
「ローカリティ=地域固有の自然素材」と「グローバル=普遍的な型」とが統合されているように感じることができる。
とにかく、漠然と海外に出て建築したい!ローカルがグローバルになる瞬間に立ち会いたい若い学生はぜひ行くべきだと思います。生活しやすいし、若手の活動場所が多くあります。また、応募はできるだけ早くすることを勧めます。近年、ヴォチョンギア事務所に限らず、国内の建築レベルが高くなったと感じているからです。私も一年早く、ポートフォリオ送っていなければインターンはできなかったと思います。今年は修士研究で再訪する予定なのでまたあの事務所の大らかな雰囲気に触れるのが楽しみです。
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