生命体としての都市,バンコク
はぁ、やっとブログが書けます。日本の生活って忙しい。
どうも、タイ留学から帰国してすでに3か月が経過してしまったみやむらです。
いやー、早い。なんとあっという間なんでしょ。
さて、二回目のブログテーマは、「街並みをつくる文化、生活、人」ということでした。
まずこの「街並み」という言葉はね、バンコク、というか東南アジアにおいては、景観という観点では語れないですよねー。
「ヨーロッパの街並み」と「バンコクの街並み」、同じ「街並み」でも意味が違う。
前者は、いや、まあ私も旅行で行ったことしかないんですけど、建物が美しいじゃないですか。しかもきちんとデザインが統一されている。だから、街並みを構成する要因は、建物だと思うんです。多分。
それに対してバンコクは…まず建物が?美しい?デザインが?統一? うーん。笑
でも、東南アジアっぽい街並みってあるんですよね。絶対。
自他共に認める東南アジアLOVE人間の私には、わかるんです。空港について、バスに乗って移動し、都市に降り立ったあの瞬間から、全身で東南アジアを感じることができます。それは一体、何を感じているのでしょうか。目で、耳で、鼻で、肌で。そして、そういった感覚を超えたところで、あのエネルギーを。大げさか。
絶賛都市開発中のあの街では、常に高層ビルが建設されていて、古い建物はどんどん壊されていく傍ら、人々が隙間のスペースにどんどん居場所を広げて、独自の都市空間を形成していきます。つまり、街が一つの生命体のような、そんな大げさに言うつもりじゃないけど、とにかくずーっと動いてます。それが私のずっと感じている、「エネルギー」の正体なのではないでしょうか。
写真載せてくれって思いますよね。
いや、探したんですけどね、やはり、写真じゃ伝わらないなって。
どうしてもあのエネルギーは伝わらないかな。。。
ただ、生命体のような街、の一例を示すことはできるかもしれません。
次の写真は、歩道に突如出現した選挙の投票所です。
ここ、私が住んでいたコンドミニアムから最寄駅まで行く時いつも通ってた道なんですけど、ある時突然テントが歩道を覆いましてね。
なんだろうなって思ってたら、次の日、選挙です。これ、地方自治体の選挙のレベルじゃなくて、確か、憲法改正のための国民投票とかだったんです。次の日には、跡形もなく撤去されていました。
いやー、皆さん。別に、選挙って学校とか公民館でやらなくても、いいんですよ!!!外でやったって、いいんです!!!
誤解を生まないために言っておくと、バンコクは東南アジアの中ではかなり栄えている都市です。発展途上国ではありますが、外国人も多く、住環境としてもそれなりなんです。だから、ホールやコミュニティ施設がないわけではないです。ただ、単純に、外で投票しているんでしょう。多分。
とにかく、こんな感じで、ある空間が現れては消え、現れては消えを繰り返しながら成立する都市、それがバンコクだと思っています。
屋台なんかも、そこらじゅうにありますね。どこからともなく現れて、夕方になるとどこかに帰っていく。ただ、場所取りで揉めているような様子はなかったので、なんとなく定位置はあるんでしょう。そこにルールはあるけれど、基本的には自由に動いている。
もちろんこれには、経済的な理由があります。
お店を持つにはお金がかかりますからね。移動式のキッチンで、歩道にテーブルと椅子を置いて、はいっお店の出来上がりーって方が安くて楽です。
お店を持っていても、スペースが小さすぎるので、そこにはキッチンのみで、食べるスペースは全て外の歩道(テラス席とかではなく、完全な歩道)というスタイルも主流です。
いやあ、すごいよバンコクの商人。
でもそーゆーのもやっぱりうまくできていて、とりあえず事故とかは起きてないから(小さい揉め事は起きているのかもしれないけど)、そういう形の営業が許されている。(一応違法らしいけど)
東京で暮らしてて思うのは、行動が規制されすぎて(法律もあるし、自分たちが「マナー」として制限しているものも)、自分で空間を作り出す力が失われているなって。これに関しては、違う話題になりそうなので掘り下げる気はありませんが、バンコクでは、一般人が空間を作り上げ、その中でふるまいをどんどんつくりだしている、その総体として都市が存在している。そう思うのです。
えー、そろそろまとめたいのですが、言いたいことは、バンコクはカオスすぎて捉えられないなって。ただ、蠢めく強大なエネルギーを感じられたことは素晴らしい経験でした。
とにかく、夕方5時ごろ駅の下に出現する屋台のカオマンガイ屋さんのご飯がめちゃくちゃ美味しくてね。食べたいなあ。
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