top of page

ものを見る解像度

 僕は今、コンセプシオンというチリの首都サンチアゴから南に400kmほどにある町に住んでいる。チリは南半球なので現在3月ではあるが気候は夏。最高気温28℃ほどの過ごしやすい陽気だ。街並みは気候によってつくられることが多いにあることはわかっているが、今回は「文化、生活、人」という目線からこのコンセプシオンの街並み、チリの街並みについて考えていきたいと思う。

水平線に太陽が沈んで数十分後

雲に反射した夕日がさらに海に反射して金色になる

 この記事を書いていたときはというと、コンセプシオンの街からバスを乗り継いで1時間半程のPoli Houseにいた。ここは僕の留学のきっかけの一つにもなった事務所の初期の作品の一つで、基本的にアーティストレジデンス兼ギャラリーとして使われている建物である。実際には80歳を超えた老夫婦とPezoとSofiaが共同して出資した別荘であり、友人のアーティストが数週間こもって制作を行っているようなプライベートに近い場所である。インターン仲間もたくさんの絵など集中的に仕事をする時に、ここに一週間程滞在する。今回もいくつかのアートワークをするために一週間滞在した。都市の喧騒から離れて波の音とともにワインを飲み、夕日とともにコンセプシオンの街並みについて考えていると、なんだか、やるせない気持ちになっていくのは事実だが、、、

これから考える街並みについて、解像度という目線から考えてみたいと思ったのもここに来たからである。

海岸際に降りた時の景色

 チリは自然の風景が美しい。日本ももちろん美しいのだが、植生や地形、気候が醸し出す風景にはひとつとして想像がつかないような断片がちりばめられている。そこには文化も生活も人もいない、植物や動物たちが住みたいように住み、風景は生まれている。美しい風景を見ているときに何を考えているのか。最初は些細なことが思いつく。

「見たことない木だな。」

「あれはカモメかな。」

「岩にいろいろな海藻が生えているな」

でも、結局こう思う

「まぁなんだっていいか。きれいだな~」

この風景のなかでそんなこと考えている自分がちっぽけに感じて、考えるのをやめる。それでいいんだと思う。

美しい風景をみるときには結局、落ち着く解像度があって

あまりぎゅっと絞って考えていても、おおきなものに引き戻される感覚があった。

つまりここで、美しいものを見るときには、細部に目が行ってしまうということがつまり美しくないということだとする。もちろんしばらく見ていると細かなところに気が行くのだが、それを引き戻してくれる感覚を呼び起こすものほど、いい風景なのではないかと考えてみる。この目線で街並みをみるとどうだろうか。

見たことない植物ばかり

 ここでコンセプシオンの風景をみると、お世辞にも美しいといえない。金曜日の夜は町中が南米音楽レゲトンでうるさく、住んでいて全然気持ちがよくない。もちろん、ここに住みたい!という動機で留学したヨーロッパ組に比べると街の美しさはこれから何百年たってもこの街が勝てる気がしないし、街は勝つつもりもないと思う。また、東京みたいな無秩序な雰囲気がある。

アパートからの景色

低い建物から高い建物まであるけど、なぜこうもばらつくのかはわからない

グランドレベルの建物

一緒にPoli Houseにいったポーランド人にビクターに聞いても、ここは俺が行ったことがある40の国の中で最もugly(醜い)な街だ、とストレートに言っていた。(こいつは197cmの大男だけど中身は子供だなといつも思う。水彩画が数十万で売れる本物の画家なんだけど)

ヨーロッパからのインターンのみんなもそうだが、細かいところを気にするのは日本人特有なんだろうか?みんな、あと何分で終わる?っていう質問を妙にしたがるくせに、当たった試しがない。あれに何分かかった?っていう質問に一時間っていう人と二時間っていう人がいる。さあ、わからないなぁっていうと、これはゲームじゃん!なんか予想して言ってよ!って言うイタリア人はいつも内容がアバウトだ。おしゃべりなポルトガル人は強い意見を言うくせにmore or less(だいたい) で逃げられる。

チリ人にも同じようなことが言える。細かいことは気にしない、おおざっぱな様子は街を歩く人を見るだけでわかる。水道が破裂して水が噴き出ていても数日間放置していたり(上海でもその光景は見た)、車の運転が雑でブレーキを踏むより先にハンドルを切るし、ちょっとでも遅い車がいるとみんな一斉にクラクションを鳴らす。曲がり角ではいつも擦れる音とタイヤ痕。歩行者は信号無視が当たり前で、つられて飛び出て引かれそうになったこともあった。

建物も落書きだらけだし、ゴミだらけ。ホームレスとストリートドッグだらけ。公園にはいちゃいちゃしてるカップルだらけ。

改めて書いてみると、街並みと人に対して不満が溜まっているようだ、、、(笑)

 

オフィスのディテールを見ると、とってもラフ。問題があるようでしっかりそれ自体は働いている。(実際にはある)

Pコンのかわりに針金で型枠をとめたようだ

立ち上がり0mm(マイナスかも)のトップライト

雨が降るとアリのプールになる

2m×2mの窓が内開きになっている窓の内鍵

鍵はねじで軽く止めてあるだけだから簡単に動く

そこでオフィスでいつも考えているのは、どこまでが過剰なサービスデザインで、どこまでが利便性をそぎ落とした(よく言うと)キレているデザインか。いいRoughnessをディテールに取り入れられたらいいのになと思う。

ボスの二人はオブジェクトレベルの思考よりメタレベルの思考を先行させているとあるインタビューで発言している。

チリの法律に問題があるのは間違いない。建物のファサードにどうしても出てきてしまうベントキャップや空調機の冷媒管など。ペソの建築はうまく隠されているなぁと雑誌を見て思っていたが、それは単に換気口や空調機がないだけだった。キッチンもトイレも換気扇がない。匂いはどうするのと聞いたら、窓を2か所開ければいいんだよと言われる。

あ、これでいいのかと思うことばっかりだ。

この街では、気候はずっと穏やかだし雨もめったに降らない。厳しい環境にいないと生活がゆるゆるになるのもうなずける。もちろんまだまだここは都市として発展してる最中だった。

雨が降ると必ず、雨漏りする。そしたら花瓶を持ってきておくだけ。

 

コンセプシオンの街並みにはほとんど美しいものはない。欲望のまま建てられて、壊れて、壊して、また建てる。東京にも、ヨーロッパのどこかでもかつてこの瞬間はあったんだろう。しかし、やはり文化と生活、人が違うと街並みはまったく違う。まだ住んで3カ月なので愛着もないかもしれない。

しかしチリのなかには、こころがきゅっと引き戻される街並みもあることを紹介しなければいけない。

その一つが、南にさらに夜行バスで12時間ほど行ったところにあるチロエ島だ。

チロエ島のplatanoという水面に張り出した木造住宅群(夏の引き潮のとき)

Alerse という木をカラフルに着色して外壁を作っている

 部分に着目する魅力は十分にあるものの、全体として、街並みの風景が認識できるという共通点がある。これもresilienceというのだろうか、自然と全体に引き戻されるようだ。

この感覚は、美しい街並みに身を置いていたら気が付かなかったことのように思う。チリの街並みのなかでも考えてみると得ることが多い。

最後に、Pezoが言った印象的な言葉を思い出した。

インターンを開始してまもなく、2m×3m程の風景の油絵を描いた。3人がかりで同時に1枚の絵を、合計3枚描いた。みんなこれほど大きな油絵は初めての経験だったので、Pezoに何を言われるのか、聞き入っていた。

すると、Pezoは

「あ~、ナイスナイス! ほら、もしこうやって目を細めてさ、見てみるとさ、ぼや~っとしてすごくいい絵に見えるでしょ。これでいいんだよ。」

チリにいるとおおらかな気持ちになる。

Chao!

nemo

関連記事

すべて表示

Comments


まだタグはありません。
○Theme
○Tags
○Date
○News
○Related Article
○Share
bottom of page