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街並みに宿るイタリア人魂。

こんにちは、イタリアはミラノに行っておりました、園です。

今回のブログテーマは「街並みを形成する文化、人、生活」ということで、なんてイタリアにもってこいのテーマなんでしょう!誰ですか決めた人!ありがとう!!! 前回のブログでもちょこっと書きましたが、イタリアは世界遺産保有数世界一の国で、50以上あります。 そのうち、街並み、街全体が世界遺産登録されているのが・・・わからないけどたくさんあります。 街全体が世界遺産ってすごくないですか? 街並みが美しくて、生活してる人もなんだか幸せそうで、路上で音楽流れてて、昼間っからお酒飲んでおしゃべりしてのんべんだらりと過ごして・・・マスオさんもびっくりですよ。

今回は、芦原先生著書「街並みの美学」の、ヨーロッパとアジアの街並みの違いに関する記述を引用しながら、私自身の経験と合わせて ・宗教観 ・靴を履いて歩く文化 という視点から、イタリアの街並みについて書きたいと思います。 まず、宗教観。 キリスト教徒が多いヨーロッパでは、「魂と身体は一体的」として捉えられています。 身体が死んでしまうと、魂も死んでしまう。 逆に言えば、体さえあれば魂もそのまま。 ヨーロッパで土葬が主流なのは、体をそのままにしておくことで復活を願う、という古代の考え方がそのまま受け継がれてるんでしょうね。 これは生物だけではなく、物にも及ぶ考え方です。 イタリアでは、よくアンティークマーケットが開かれます。

本、アクセサリー、腕時計の基盤(ガラクタにしか見えない)、折れたネジ(もはやガラクタ)、テープが出ちゃってるカセットテープ(ガラクタ)等が売られています。 なんでこの人これ堂々と売ってるのかな?と何度笑いを堪えたものか。 つまり、古いものをそのまま守る精神が強いのです。 だから建物も、ありのままの、オリジナルのものが大切にされるのです。

そうしてあの古い、昔のままの街並みが残されていくんですね~

もちろん古い建築が多く残っている大きな理由のひとつは、石造りが主流だからなのですが、人の精神世界も反映されてるのかなぁなんて考えると、建築の多様性のようなものが改めて見えてきますよね。

さて、つづいては、靴を履く文化について。

建築家・芦原義信氏の著書「街並みの美学」には、

家と街並みとの空間領域的に同視して家の中でも靴を履いて生活してきた西洋人と同じような同視をわれわれ日本人がすべきだとしたならば、家の外の街並みを素足や足袋はだしで歩けるようにすることである。(中略)この西洋的内外空間の同視は、アルベルティ等にはじまるルネサンス以降の都市計画や街並みの整備をうながして、ヨーロッパに見られるような芸術的にも美しい都市をつくってきた。

先ほども書いた通り、西欧地域で古く美しい街並みが現代まで残ってきた主な理由は、その材料、気候等物理的な原因によりますが、それ以外にも人々の空間領域の捉え方、すなわち家の中と外を同視する考え方が要因になっています。

そういえばミラノでお世話になった大家さん(:フランチェスコ、35歳バンドマン就活中)も、家の目の前にあった広場のことを「僕たちのピアッツァ(広場)」と呼んでいました。

(フランチェスコも登場するイタリア留学漫画公開→http://sonomoe.hatenablog.com/

最初聞いたときは違和感を覚えたのですが、あとから、そうか~イタリア人は外の広場を自分たちのものだと思っているんだな~と思い、日本との違いを実感しました。

ちなみに、日本(アジア)とヨーロッパの、靴を脱ぐ・履く文化については、インテリアデザイナーの内田繁氏の著書「インテリアと日本人」に面白く書かれているので、ぜひ。いつかこれについてもブログ書けたら、と思います。

というわけで、今回は自分の印象や考え方よりも、お勉強でヘェ~と思ったことをつらつら書いてみました。

次回はイタリアの愛のこもったブログ書けたらなぁ・・・って思ってます。

それでは。

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