ウィーンは地味に拡大中
Grüß Gott, こんにちは。オーストリアはウィーンで生活中の浦山です。
長くて辛い冬が終わり、4月に入って急激に初夏を迎えたウィーン、もうコートいらないじゃん!とぬか喜びしていましたが、なんと4月半ばに雪が降りました。その後は天気が停滞していて、ユニクロのウルトラライトダウンにお世話になる日々を過ごしています。恐るべし。
チューリップは咲きました。
今回は、遅ればせながら第2回テーマの街並みについての記事を書かせていただきたいと思います。みんなみたいに上手く書けなかったのでつらつらと。
オーストリアはだいたい山と草原です。電車に乗って西や南に進んでも、農家、背後に山という組み合わせの集落がたまにぽつぽつ現れ、その間は大体見渡す限りの山と草原。
車で走っていると、大体こんな感じ。
その中でただ一点異常に華やかな街なのがウィーンです。
もともと同じオーストリア=ハンガリー帝国だった他のところ(例えばハンガリーのブダペスト、チェコのプラハ)と比べても、規模も華やかさも頭一つ違います。ついでに言えば、メンテナンスのされ具合も大分違います。どちらもとてもいい街ですが・・・
ウィーンで最も華やかな中心部、旧市街と呼ばれ世界遺産に登録されている地区は、もともと19世紀半ばまで城壁に囲まれていたところです。城壁の取り壊しと同時に跡地に環状道路(Ringstraße リングシュトラーセ)が造られ、それぞいにゴシックやルネサンス様式の公共建築が次々計画されました。
その後、オットー・ワグナーやウィーン分離派が登場し、ユーゲントシュティール(アールヌーボー)の建築があちこちにできます。
たとえば、ウィーン市電の6番線と4番線の駅舎と高架はオットーワグナー作。私の最寄りの地下鉄駅もワグナー作です。
最寄り駅の高架。
有名な集合住宅などもあるのですが、無名のものでも、これは影響を受けているのではというファサードが街中に多々あります。
統一感のあるきれいで上品な古典建築の群れの中にところどころユーゲントシュティールのスパイスが効いて、どことなく往時の世紀末と新時代の風を感じさせる街並みになっていると言えるのではと思います。
これはワグナーのデザインした集合住宅。
こうしたウィーンの華麗な街並みが美しく保たれているのは、オーストリアの歴史的建造物の保存の条例のおかげです。オーストリアでは、歴史的建造物が一様に保護対象として登録されます。こうなると、所有者がいくら変更したくても勝手に改築したり改修したりすることはできず、いちいち役所にお伺いをたてなければなりません。
東京育ちの私からしたら美しい街並みが普通に残っているなんて本当に羨ましいですが、ずっとウィーンにいる側としてはそんな状況にフラストレーションがたまるのか、新しいものを建てるチャンスを得た建築家は、だいたい「なんでここにこれ?」と聞きたくなるような奇抜な建物を建てていることが少なくないように思います(フンデルトヴァッサーハウスとか。すいません)。時代を先どる文化の中心地だったという歴史と誇りがあるなかで、自分も新時代をつくるものに挑戦したくなったりするのかもしれませんね。
リングシュトラーセの外側は、もともとスプロール的に拡大していったところや貴族の離宮があったところで、場所によってはすごくきれいな古い街並みだったりしますが、逆にすごく新しくごちゃごちゃで、ここは日本の新興住宅地か?!と見紛うような感じだったりもします。特に市街地の周縁部や、ドナウ川の東側ではいまだにスプロールが進んでいるようで、新しい集合住宅やオフィスビルがどんどん建てられているようです。
左手が川の東側。 唐突にあたらしいビルが建てられたりしています。
ウィーンの旧市街を巨大な墓場などと表現する建築家もいるようですが、未だに周囲に拡大を続けていても街のアイデンティティをずっと失わずにいるために、街の中心に確固たる核を持っていること、それを守る法律がちゃんと整備されてうまくいっていることは、とても大事なことだななどと考える日々です。
旧市街の中心・シュテファン寺院の上からの眺め。旧市街も屋根を改修・拡張するのがここ10年のブームらしい。
最後に、ルームメイト(オーストリア・リンツ出身)が日本人はオーストリアとオーストラリアの違いを知っているかどうか不安がっていたので、ウィーンはオーストリアの首都だということを強調して終わりたいと思います(よくアジア人に間違えられるらしい)。Tschuß!
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