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ハロー!フロム・ベルリン

こんにちは、ドイツ・ベルリンに留学中の高橋まりです。

早稲田大学の建築学科箇所間協定でベルリン工科大学/Technische Universität Berlinに1年間交換留学をしています。

大学入学後からバイトをしては海外に建築や風景を見に行くことを繰り返していた私は、学部2年の終わり頃から漠然と留学か海外でインターンを修士でしようと思っていました。

ヨーロッパの何百年もの人々の営みが積み重なってできあがった街並みや、その歴史を引き受けながらも都市を更新する意識を持つ現代建築は非常に魅力的であり、これらを実現させている文化・思考を知りたいと思ったからです。

私がベルリンに留学した理由としては大きく分けて3つあります。

1.現代建築で構成される都市・ベルリン 

ヨーロッパ=歴史的な街並みというイメージがあると思いますが、ベルリンはその逆で古い建築がほとんど残っていません。

第二次世界大戦で焼け野原になり、東西分断後ベルリンの壁が築かれ、中心部が周縁となり、開発が遅れて現在も絶賛開発中。

街並みの90%弱が現代建築で構成され、かろうじて残った戦前から残った建築は保存・修復・改修されています。

Reichstagsgebäude/Norman Foster(Renovation)

Denkmal für die ermordeten Juden Europas / Peter Eisenman

Berliner Philharmonie / Hans Scharoun

冷戦時代、西ベルリンはアメリカの経済的豊かさを示すショーケースとなり、ミース・ファン・デル・ローエのナショナルギャラリー、ハンス・シャロウンのベルリンフィルハーモニーやベルリン州立図書館などの公共建築、ヴァルター・グロピウス、アルヴァ・アアルト、ル・コルビュジエが参加した1950年代のIBAインターバウ、1987年のベルリン国際建築博覧会が開催されたこともあり、建築家によって建てられた集合住宅が多数あります。

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Doppel-Punkthaus /Alver Aalto

また、同じ敗戦国として歩んだドイツですが、1980年代に成熟社会を迎え、住民参加型の都市デザイン、持続可能な都市・地域開発、過去の歴史を現在に残すデザインがさかんに行われるドイツは、日本から見ても学ぶところが多い国であることも留学先に選んだ理由の1つです。

建築家が設計した現代建築がどのように人に住まわれ、どのように都市や人々の暮らしに寄与しているのかを実際に見てみたい、それが1つの目の理由でした。

2.ジョン・ヘイダックとベルリン 

もっともらしいことを長々と述べましたが、わたしの留学動機をもっともシンプルに言うならば、「ジョン・ヘイダックの実作がベルリンに建っているから」です。

私は学部の卒業論文でアメリカの建築家・教育者・詩人であるジョン・ヘイダックの研究をしていました。

1970年代のアンビルトの初期住宅作品「Diamond House」「Wall House」の評価が高いですが、中期以降は悲劇の起こった土地の歴史に焦点をあて、装置・その使い手とその行為を設定した「Masque」という形式を持つ作品群を発表しています。

(略)ベルリンの空気には何かがある。それは強調したい。ベルリンの夜の黒いスティールの建物を見るべきです。夜になるとブルー、それもダーク・ブルーになるのです。(略) 

多くの事柄の中でも、特に私を惹きつけるのは、初めて行った時に今は廃墟となった都市の巨大な断片をそこに見た、ということでしょうね。ここに建物があったのだという空地が無数にある。(略)建物は破壊され消滅してしまったけれども、オーラが大地から出ているということです。

対談ジョン・ヘイダックあるいは天使を描いた建築家『a+u(90:12)』 より

上記の通り、ヘイダックはベルリンという都市に非常に興味を持ち、ベルリンについて多くの言説を残しています。

ベルリンを敷地とした「Berlin Masque」「Victims」「Berlin Night」などの作品を後期から晩年にかけて発表し、1987年のベルリン国際建築博覧会で集合住宅が3つ設計され、現在も人々に住まわれています。

Berlin Housing,Kreuzberg Tower/John Hejduk

Tegel Housing/John Hejduk

ヘイダックが見ていたベルリンをこの目で見て、その空気を感じてみたい、という思いで留学先に選びました。非常に単純明解です。

到着した日にヘイダックの実作に挨拶をしに行き、ヘイダックの作品の徒歩圏の寮に住んでいます。

3.ベルリンの現代アート・カルチャーに魅力を感じたから 

きっかけはヘイダックだったのですが、現在のベルリンという都市を調べていていくにあたり、ベルリンが現代アートの最先端であり、そのカルチャーが非常に面白いことがわかってきました。

壁という壁に施されたグラフィックアート、廃墟をリノベーションしたクラブ・ギャラリー、壁崩壊後の土地の不法占拠から始まった市民農園や廃墟をリノベーションしたアーティストインレジデンスなど。

ちょっと激しめなグラフィティ

防空壕をリノベーションした現代アートのコレクション/Boros Collection

不法占拠から始まった市民農園。夏はビアガーデンもやってるらしい/Prinzessinnengärten

戦後、トルコ人移民が大量に入り、現在はアラブ系の移民もたくさん住んでいて、アラビア文字の看板もたくさんみかけます。住人の約3分の1が外国人であるという現代版・人種のるつぼです。

有名な食べ物は、移民のトルコ人が持ち込み独自の進化を遂げたケバブと屋台で売っているカリー・ブルストだというなんともカジュアルな場所です。

東西分断が影響して大企業の進出が遅れ、物価も安く、パートタイムで働いている人が多く平日の昼間からビールを飲んでいる若者もたくさんいます。ピアスもタトゥーも髪の色もファッションも自由、LGBTという言葉を忘れるほどいろんなカップルがいて、60年代のヒッピーの生き残りのようなおじさんも見かけます。

発電所跡がイベントスペースになり、デザインマーケットが開かれている様子

ベルリンに来ていちばん驚いたのは、ベルリンを形づくっている文化や生活の営みは、経済的価値とは全くベクトルを持っていること。

簡単に言えば、お金がなくても、みんなクリエイティビティを発揮して自分のやりたいことを実現して、幸せな生活を送っているのです。

毎週日曜には街中の様々な広場で蚤の市が開かれ、アーティストやデザイナーはお店を持たなくても作品を発表したり、売ることができます。

歴史的な背景から発生した大量の空地を住民が主体となって活用し、文化を発信しているヨーロッパの首都という点がベルリンの非常に興味深いところだと思います。

ベルリンにきて半年が経ち、目の前に広がっている風景が良くも悪くも当たり前になりつつあります。

残り半年、引き続き色んなものを吸収しつつ、記録し、自分の糧にできたらと思います。

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