水の都に住んでみた
ミヤモトです。
私は、イタリアのヴェネチアにあるUniversita IUAV di Veneziaというところで1年弱留学していました。
帰国して半年くらい経ったのですが、なんかもう、離れてみて、より一層好きになっています。
↑よく散歩していた道。
ヴェネチアに留学していた、というとだいたい聞かれることがあるので、最初にすっきりさせておこうと思います。
「ヴェニスじゃないの?」「ヴェネツィアじゃないの?」
―はい、日本語にしたときの表記の問題ですね。ヴェニス・ベニスは英語で、ヴェネチア・ヴェネツィア・ベネチアはイタリア語です。ヴェとかツィとかは、どこまでそれっぽい音にするかという問題ですが、私はあまりこだわらないのでヴェネチアと半々にしておこうと思います。
「めちゃくちゃ観光地じゃん!住めんの!?」
―住めます。私は島に住んでましたが、本土にも住めますし全然通えます。「物価が高い」「観光客だらけでうるさそう」「落ち着かなそう」と住むには結構ネガティブなイメージがあるみたいですが、私としてはかなり住みやすかったです。(いずれこれについてはたっぷり話して、イメージ向上をはかりたいところです)
↑朝、街中を回収業者の人が各建物をまわり一ヶ所に集める。それを船で回収しゴミ処理施設に持っていく。
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さて、今回のブログテーマということで、「なぜヴェネチアを選んだか」を滔々と語っていきたいと思います。
私にとってこの問いは、なぜイタリアか、なぜその中でもヴェネチアを選んだか、という問いになるんですが、
ざくざく答えていくと、
なぜイタリアかは、「とにかくもう頭にはイタリアしかなかった」からです。
私は旅行が好きで、学部のころも、ヨーロッパやアメリカや東南アジアやら行ったんですが、イタリアは行きませんでした。イタリアは、建築学科生の旅行先としてすごく人気ですし、周りの友達で行ったよ!って人がたくさんいてすごく羨ましかったんですが、行きませんでした。
なぜか当時の私は、「イタリアへは留学でいく!」と決めていたので、旅行では行きませんでした(下見をするという考えはどうやらなかったらしい)。
私は、建築のなかでも歴史を、もう少し言えば日本の近代建築史を専攻しているんですが、正直、ロマネスク?ゴシック?ルネサンス?新古典主義?という感じでした(先生には言えない…)。もちろん歴史的な流れは本読めば書いてあるし、建築的な特徴も図面や写真でわかります。ただ、頭の中ででうまく咀嚼できないというか・・・もともとあまり学術的な本は得意ではなく、西洋建築史だと特に、自分からはすごく遠いものに感じてピンとこなかったんです。
でも実際にそういう建築がぽこぽこある中にいたら、実感をもって学ぶことができるし、絶対興味わくよなあとのことから、「とにかくイタリアに留学したい」と思っていました。
実際に、イタリアではコテコテの建築史の授業ばっかり履修していました。授業でならった建築を見に行ったり、図書館で気になった建築を調べたり、街を歩きながら、「あ、これコロッセオと同じオーダーの組み合わせじゃん」とか「このモチーフの組み合わせはパッラーディオと同じだなあ」とか思ったり、まあとにかくのんびりと、ただただ興味のおもむくままに過ごしていました。
↑授業でScarpaツアーをする、写真はQverini Srampaliaの前の橋。
じゃあなぜヴェネチアかは、「ずばり東京という街がすっごく好き」だからです。
これだけだとアスペかよ、と思われそうなので、ちゃんと説明します。
私、路地が好きなんです。綺麗に整えられたものもいいけれど、小さくてぐちゃぐちゃでいりくんでいる状態にすごく魅力を感じます。多分日本人全体の意識としてあるような気がしていて、吉祥寺とか谷根千とかが人気なのってそれだと思うんです。東京って、ごちゃごちゃでいろんなものが混ざってて、そういう整理されすぎていない場所がたくさんあると思うんです。
そういう目でヴェネチアを見ると、本当にごちゃごちゃですよね、真っすぐな道なんてほとんどないし、道が入り組んでたり、建物も改修に改修を重ねてるし。
重層的な街だったら、ヴェネチア以外にもイタリアにたくさんあるので、それだけだとヴェネチアに決めた理由にはなり得なくて、一番大きかったのはある本の影響なんです。
学部4年の時に、ゼミで『東京の空間人類学』という本を扱ったんですが、著者である陣内秀信先生によれば、東京とヴェネチアは似ているそうなんです。
東京がまだ江戸だったころって、そこらに川があってその岸辺はとっても賑わっていて、ヴェネチアのような水の都だったらしいんです。当時の絵なんかをみると、本当に素敵で、これが現代でもヴェネチアでみられるなんて!とすごく衝撃をうけました。
私も、ヴェネチアのイメージといえば観光地だったんですが、ここでどんな風に生活が営まれているのか、体験してみたかった、というのが理由です。
ちなみにこの陣内先生は、『東京の空間人類学』の中で、震災・戦災・高度成長期と東京の都市は今までに大きく変化してきたけれど、注意深く道や地形をみていくと、実は江戸から受け継がれたものがあることを説明しています。これを「都市を読む」作業といっているのですが、この方法はイタリアで培ったものなんだそうです。
当初イタリアに行きたい目的は建物だったのですが、都市としても重層的でおもしろいものがたくさんありそう!というので、イタリア熱が高まりました。
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実際に住んでみると、ヴェネチアって本当に特殊な街だけど、ごく普通に生活感が溢れていました。
イタリアの街って本当にどこも小さいけど、それぞれ違っていて、しかもイタリア人はみんな自分の出身地をすごく誇りに思っているんです。それってすごく素敵だなーと。
↑クリスマスに実家に招待してくれて、Cesenaの街を案内してくれた元同居人
当初の目的であった、西洋建築史を学ぶ、というのもできた(もちろんまだたくさん学ぶことはあるけれど)と自分では思っているので、うん、すごくよかったと思います。
あとそのさんが既に言っているけれど、食べ物がとにかくおいしい、とにかくおいしい、のも最高でした。(かなり増量しました・・・)
どんな風に過ごしていたか、はまた別の機会にぜひ紹介したいです~!
ちょこっと脱線しますが、最後にひとつだけ。
歴史というと難しいものだと思われたり、ただ過去のものでしかないと思われたりするんですが、私にとって歴史は、「おもしろい」を増やしたり「おもしろい」の中身を言語化するためのツールなんです。
↑旧東海道でみつけたかわいいファサード。
意識してみると、日本でもよく西洋建築の要素やモチーフを見かけるんです。
この3連アーチ窓風はアーチ(風)の間の柱はないけど、なんとなくアルミサッシ枠が柱を想起させるような気がしたり、でもよくみると下の窓の割りが4枚だったり。
別にこんなの変!とかナンクセをつけたいのではなく、単純に街を歩いていて、建築をみていて、意図があったかはさておき「おもしろいなあ」とたくさん思えるのって素敵だと思うんです(お金かからないで時間とかつぶせるし、オススメです)。
歴史的な建物とか堅苦しいし何がおもしろいんだかわからん!という人に、少しでも興味を持ってもらえたら嬉しいな~と思っています。
ということで、みやもとでした。こちらからは以上です。
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