交錯点とおおらかさ
Hola!
スペイン、バルセロナのETSAB (Escola Tècnica Superior d'Arquitectura de Barcelona)に留学中の藤村です。
「なぜここに留学したのか in Barcelona」
なかなか一言で言うのが難しいので順を追って書きたいと思う。
そもそもはぼんやりと外国での生活や文化体験や海外から見た日本に興味があり、留学という選択肢を選んだのだが、具体的にヨーロッパのどこに行きたいという思いがあったわけではなかった。でもなんとなく歴史の教科書に大きく出てくるような本流の建築よりも、その影響を受けつつも傍に逸れた支流の文化に興味があった。
そんな時に読んだのが『スペイン建築の本質』(鹿島出版会・1991)だった。この中で著者のフェルナンド・チュエッカは、東洋と西洋、アフリカとヨーロッパの間に位置づくスペインは対極の文化の交錯点であると述べている。文化の混じりあったスペインでは他の芸術には見られない複雑性を持っており、それがスペイン芸術の特異性であると。この本を読んだことが、自分の中で留学先を決める決定打になったと思う。
スペインに留学することを決めたのは良いものの、東工大にはスペインの大学との交換留学がなく、自分で留学先を探す必要があった。そこで最初にスペイン人の友人に留学先として良い大学を尋ねてみたところ、マドリッドかバルセロナが良いのではないかと返事をもらうことができた。そのうちバルセロナを選んだのは、バルセロナへ留学している人が周りにいなかった、誰も行っていいない場所へ行きたかったというのが大きな理由である。がもうひとつバルセロナに選んだ理由、というか小さな要因みたいなものがある。それは大学時代の恩師である建築家の言葉である。スペインのカタルーニャで仕事をしていたことのある彼はカタルーニャでの建築体験を話してくれた。そこで印象的だったのは「屋根をかけること、それだけで建築になる。最大限の効果を生む最小限の操作だけで良い。」という言葉である。この言葉はスペインの文化や気候など話していた文脈の中で成り立つ言葉ではあるが、私にとってそのおおらかさとある種のテキトーさが衝撃でずっと頭の片隅に残っていて、いわゆる都会のイメージのマドリッドではなく、カタルーニャ地方のバルセロナを最終的に選んだのはそれもある。
そんなおおらかさやテキトーさは実際にバルセロナに来てみると感じることが多い。正直人々の服装やインテリアなどは北欧などと比べると雑だと思う。冬でも半袖を着ているのは当たり前で、半袖にマフラーしている人なんてわけがわからない。また、スペイン人は祭りが好き。週末は祝祭日(要は祭りやパーティー)を意味するFiestaで朝まで騒いで(だから週末は電車が24時間)、FCバルセロナの試合の日はバルに集まって観戦して。何をするにもとりあえず音楽をかけて、踊って。祭りを共有して誰でも受け入れてしまうおおらかさがある。時間に対しても雑で、決められた時間に授業が始まらないとか、直前で授業内容が変更になるのは日常茶飯事である。
バルセロナにいて目に入るのはいつも人の活気だと感じた。バルセロナの人々にとってplaza等の公共空間は家の延長線上で、私が初めて同じフラット住む女の子に会った時も「疲れたしとりあえず公園行かない?」と誘われたのを思い出す。彼らにとって公共空間で過ごすことはまるで家の中のリビングやダイニングを移動するような感覚なのかもしれない。
最後に私が留学先を決めるにあたって相談した友達がみんな言っていたこと、それが食事だった。留学するというのはつまりその地に住むということだから食事は重要であると。食事だけでなく、せっかく1年間住むのだから、住んでいて楽しい場所を選んだ方が良いと思う。実際バルセロナに来てみて食事の美味しさには毎回感動するし、そのほかにもほとんど毎日快晴で暖かい気候や活気ある都市公共空間、Fiestaなどの文化。バルセロナの人々は本当に楽しそうに生活をしていて、住んでいてとても楽しい。好きな街、好きになれる街に来られたことが幸せだと思う。
スペインの文化や気候、雰囲気などのどれもが先述したおおらかな人々の気質を形作って来た文化なのだと思い知らされる。そしてそのおおらかさは交錯点としてのスペインと無関係ではないだろうと思う。こんなバルセロナに皆さんも是非とも交錯しにきて欲しい。
藤村拓史(ふじむら・ひろふみ)
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