住みやすい街ウィーン。
こんにちは。オーストリアはウィーンのTechnische Universität Wienに1年間留学中の浦山です。
ウィーンに来ていまのところ一番予想外だったことは何か。
とにかく冬が寒い。そして暗い(物理的に)。
大学前のカールス教会と、雪で埋まってしまった教会前の池。(2月1日撮影)
冬本番に入ってから他のヨーロッパ留学組のいる都市と結構こまめに比較していますが、たいていスイスはチューリッヒよりも、スウェーデンはイェーテボリよりも寒いんだからびっくりです。バルセロナと20℃近く違う日もあります。
あんなに楽しかったクリスマスマーケットも終わってしまったこの時期、留学から半年が経ち、寒さも暗さも相まって、自分のここでの存在意義に鬱々としはじめる日本人学生多いから気をつけてねとこちらの事務の人にも言われるわけですが、
楽しかったクリスマスマーケット(上と同じ場所)。この頃の私はひたすらウィーン最高だよと思っていた。
いい機会なので留学動機を思い出して初心にかえって乗り切ることにします。
私は今まで、生まれてこのかたずっと東京で暮らしてきました。正直に言うと、東京の「(他にはない都市という意味での)異常さ」というものに、大学に入るまで全く気づいておらず、当たり前だとすら思っていました。つまり、とにかく大きくて、人が多くて、密集していること、すぐに建物が建て替わっていくというのが、私の小さな頃からの疑うことのない日常でした。
建築雑誌を眺めていて、このままこの一つの国と場所しか知らないまま建物を作る人になるのだろうか・・・とふと思ったのが、留学を意識した一番最初のきっかけです。最終的にヨーロッパに決めたのは、学部生の時に旅行で行ったイタリアの街から受けた衝撃が大きすぎたからです。こんなに古くて歴史のある建物が日常生活のなかにぼこぼこ紛れ込んでいるところに住んでいる人が世界にはいるのか?!それだけで東京からきた私と全くちがう価値観を持っているにちがいない、と。
あとは単純にぱらぱら本をいろいろめくって、これ死ぬまでに一回見に行きたい・・・という建築がヨーロッパに多かったからです。あっちの国のあれもこっちの国のこれも見たい、でも日本とヨーロッパの間には金額にして時に10万円、時間にして時に10時間を超える距離がある、ってことは一旦1年くらい住むしかない、ってことですね。
その中でもウィーンは、東京とちがう時間感覚を持っていること、つまり200年ぐらい歴史がある建物が街なかにたくさん残っていることに加えて、
・住みやすくて安全なところ
・あまり物価が高くないところ
・食べ物がおいしいところ
という、ぶっちゃけていうとあんまり建築が関係ないようにみえる要因を大前提としてクリアしていたということがありました。だって日常生活辛かったら絶対しんどいから。(ちなみに3つ目の条件はクリアしているかどうか今となってはすこし微妙である。)
実はウィーンは「世界の住みやすい都市」ランキングで2016年現在8年連続1位に輝いています。昔から文化の中心地として栄えいまもその水準を維持していること、公共交通の充実、住宅供給機関が整っていること、周辺に緑が豊富なこと、アルプスを水源とする水道の完備(水道水が本当においしいです!)など理由はいろいろあります。よく言われているのが、街自体がコンパクトにまとまっていてサイズ感が住むのにちょうどよいということ。地下鉄も、整備するのにとても苦労したとのことだけあってとてもわかりやすいし、歴史地区とかさなる中心市街だけなら歩いてまわれてしまいます。
ウィーンのど真ん中、シュテファン寺院に続くグラーベン通り
それと忘れちゃいけないのが、世紀末にウィーンで新時代を作った建築家、オットー・ワグナーの存在です。
19世紀に、ウィーン中心部を取り囲んでいた城壁が取り壊され、「リングシュトラーセ」と呼ばれる環状道路が造られました。それと同時に、歴史主義の華麗な建築群がリングシュトラーセ沿いに次々と建てられました。この華やかな文化の流れを受けて、当初古典主義の建築を造っていたオットー・ワグナーは、20世紀にかけて、伝統的要素を用いながらも当時には新しかった材料や表現方法を取り入れ、いわゆる「近代建築」への流れとなる建築を造り出します。
郵便貯金局。ファサードを留めるビスが露出するデザイン。
新しい産業や技術がでてきていた時代に、その時あったものと新しいものをどう組み合わせて「新しい時代のデザイン」をつくるか、ということに関して、ワグナーほど上手くやった建築家はあまりいないのではないでしょうか。また、こんな斬新なものを自分たちの歴史ある街並みの中に受け入れたウィーン市民の懐の深さがあってこそのワグナーの成功だったと思います。そうした、背景を含めた彼のデザインに興味があったというのも、ウィーンを選んだ理由の一つです。
これ以外にもウィーン(の寒さ)が生んだ珠玉のカフェ文化とか、TU Wienから東工大にきた留学生が軒並み優秀だったとか、先生と先輩とウィーンについて酒の席で盛り上がったとか、理由は細々いろいろあるのですが、本当に一番シンプルに考えるとこんな感じかなあと思います。
夏、新王宮前の芝生でのびのびする市民の皆さん
ほんとうはウィーンに来る前は、観光のイメージからして結構お高くとまった街なのかと思っていたのですが、想像と違ってみんなのびのびやっていました。「ここに来たからには、君のやりたいことをリラックスしてただやればいいんだよ。」とはオーストリア人の友人の言葉ですが、残り半年も、のびのび頑張ってやっていきたいと思います。
浦山
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