エネルギーに導かれて
「どうして留学してるの(したの)?」
この質問は、私を悩ませたものでもあったし、「よし、くるぞ~!」とワクワクしながら待ち構えるものでもあった。というのも、私が今までに受けたこの手の質問は、欧米諸国に留学する人たちがされる質問とは少し違った意味があったように思うからだ。私の場合、「留学する」ということ”そのもの”を聞かれることはほとんどない。たいていは、「どうして(わざわざ)タイ(なんて変わったところ)に?」という含みがあったように思う。大学以外で出会った人たちはもっとストレートだった。私が留学すると言うと、まず最初に「アメリカ?ヨーロッパ?」と聞いてくる。いやあ、実はタイなんですよ~というと、「タイで学べることがあるの?」と。タイの教育機関関係者が聞いたら怒るだろう(いや、ニコニコ笑うだけかもしれない)。あとは、「タイで建築?お寺が専門なの?」とか。建築に結びつけようとしてくれたあたり、かなり親切である。しかし、すまん、タイの寺院にはこれといった興味はない。
とはいえ寺院は色々見た。その話もまたいつか。
もちろん、大学の教授陣のリアクションは違った。アジアにどんどん行け、と後押ししてくれる教授もいたし、これから建築を学ぶ学生はアジアに行くべきだ、と言ってくれる教授もいた。宮村はアジア似合ってるよ、と言ってくれる同級生もいたし、たくさんの人に応援してもらって出発することができたが、それでもタイを留学先として選択した理由というのは、それ以降も私にずっとついて回っていたように思う。
いってらっしゃいの会。みんなありがとうっっ
そんなわけで、タイを選んだ理由としてあげられるものは、様々用意していた。一番簡単だったのは、「タイ料理が好きだから。」あとは「あったかいところに行きたかった。」「のんびりした国に行きたかった」とか。奨学金の審査では、「将来、東南アジアで都市開発の仕事がしたいから、その下見も兼ねて。」が一番評判が良かった。今あげたのは全部本当だけど、もっと最初の、タイ(というか東南アジア)に行きたい、という気持ちは単純なところからきている。私は東南アジアの都市の、カオス感と、人々の”生きる力”が目に見えるあの感じに心奪われたのだ。
彼らの手にかかれば、路上は食堂にも店舗にもなる。
東南アジアに来たことある人なら分かるだろう、あの生命力みなぎる空気を。都市空間が生活に侵略しているのか、人間が都市空間を侵略しているのか。もうそんな感じ。東京みたいに制度化されてないから、絶妙な秩序/無秩序のもと変化していく都市。(ちなみに私はもちろん東京も好きです。)
ああ、思い出しただけでゾクゾクする。
バンコクのある駅前の大通りには広い歩道があって、面するデパートは外国人向けの高級なものだし、(タイにしては)綺麗である。日中はきちんとコントロールされた空間である。しかし夕方5時頃になると、バンが乗り付け、洋服やアクセサリーなどの商品と、屋台の骨組みとなる板や鉄パイプが運び入れられる。店員のおじさんおばさんが慣れた手つきで組み上げ、あっという間に露天の完成。
「なんでもアリ」の世界
あれよあれよという間に、その通りは商店街のようになる。通り過ぎる外国人に、英語中国語日本語で話しかける。どんどん売りつけてくる。通路が絶妙に狭く、どうしても立ち止まってしまうので、その隙にセールストークが始まる。うまくできてるなあ、と感心するほど。
(写真5)スリにはご注意
いたるところが、エネルギーであふれている。生きてる。「いきいきしてる」という感じではなく、もっと汚いものだけれど、でも間違いなく人のエネルギーが都市をつくっている。
私がここに留学したのは、この空間を渦巻くエネルギーに心奪われたからで、それをどうしたらいいのか、建築を学ぶ学生としてどう考えたらいいのか、を知りたかったからでもある。東京だって非常にエネルギッシュな街だけど、最近はどうしてもつまらなく感じなくなることがある。行政に規制されてる場合もあれば、常識とかそういうもので、私たちが勝手に自分たちの行動を制限しているような。先進国として発展を遂げた今、東京からなくなってしまったものがバンコクにはあるような。それだけではなく、東京の数倍のスピードで成長するバンコクには、新旧の入り混じるカオスな空間が存在する。人々はそんな中を自由自在にたくましく生きている。この街で、日本では得られない体験と、感性が磨かれるような気がしていたのだ。
とにかく私はここで暮らさなければ。そんな思いに急かされるように、タイへと飛び立った。
留学して何があったかはまた別の回で書くんだよね。ということで今回はここまで。
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